お手伝い

昨日、今日とお茶会のお手伝いをした。先輩が教える公民館のお茶の教室のお茶会。

先輩は独特の精神世界を創ってきた人で、お茶だけでなく禅寺での接心に高校生の時から参加してきた人で強い人である。

替茶碗に使う茶碗の命名を老師に頼み、返ってきた銘は「鉄磨」。禅の世界で有名な男顔負けの強い心を持つ尼僧の名前らしい。

そういう人であるから、お道具の取り合わせもひと味もふた味も違う。

10月の終わりなので趣向を変えて炉とし、三畳に区切って隅炉とした。公民館の茶室を屏風で囲い、黒いテープで三畳をくぎり、開炉という趣向。風炉から炉への変化を「関」というキーワードで本席の床の禅語は「関 瞋拳は笑面を打せず」。もう一人心酔する老大師(参禅する寺の一代前の老師)に依頼した主茶碗の銘は「崑崙」。そこから建水はチベット仏教の仏具を使う。11月の先取りということで煙草盆は皮鯨手付がつく。香合は玄猪包香合。

私の今の力ではついていけない茶の世界の先輩の培ってきたものを総動員した取り合わせだった。奥深さを感じた。