小惑星 鶴林寺

コメットハンターとして著名な関勉氏が1990年7月30日に発見した小惑星52285番に加古川名刹鶴林寺」の名前を提案していたところ、国際天文学連合小惑星命名委員会で承認されたことを記念して講演会が開かれ、今日、星空案内人に誘われて行ってきました。

星空案内人の奥様も一緒、可愛い方でした。他に同級生が2名。

今年83歳を迎える関さんのお話は実践のお話で中味、実感があり、とても聴かせる内容でした。期待以上でした。1965年9月19日、台風24号の到来でたぶん観察は無理、寝ようかとも思ったが蒲団の中で耳を澄ませていると深夜3時、雨の音がやみ、雨戸を開けるとものすごくクリアな星夜、大急ぎで望遠鏡を準備し、東の空を注意深く見ていくと、高知城の近くに帚星、10年の観察で星図はしっかり頭の中に入っていたそうです。ライバルの池谷さんについての話もぐぐっとひきこまれました。10年ほど年下の池谷さんは謙虚で努力家、観察に使う望遠鏡も手作りであったそうです。途中で消息が聞かれなくなり、病気でもと心配になり手紙を書くともともと病弱であったのだが身体を壊し、医者から観察を止められたという手紙が同封された、池谷さんがご自分で磨かれた反射鏡が送られてきたそうです。池谷さんとのつきあいの中で印象に残っているのは「私は壁を歓迎する」という言葉だそうです。関さんも何度も壁にぶつかり、そのときはいつも送られてきた反射鏡に問いかけて乗り越えてきたそうです。

質疑応答で長年にわたり観察を続けてこられた秘訣はと問われ、関さんは何と答えたでしょう、「それは、あそこに座っている家内がずっと私を支え続けてくれたからですよ」と指さされました。その奥様の素敵なこと、上品でしとやかで人目を引く方でした。

今回の命名の経緯は関さんの講演を聴かれた加古川に隣接する播磨町の町長(女性)がその講演で目にした池谷・関彗星の写真に写る三重の塔はどこのお寺と質問され、鶴林寺の三重の塔と知ってぜひ、まだ名のつけられていない小惑星に「鶴林寺」と命名して欲しいと懇願されたところから実現したそうです。そして肝心の鶴林寺の住職もこの話を聞いて大乗り気。天文大好き和尚さんなのです。今日のご挨拶もお人柄がしのばれてとてもよかったです。町長さんは他用と重なり、今日は来られていませんでした。

久しぶりにプラネタリウムも楽しみました。「鶴林寺」は15.4等星、公転周期は3.72年です。

11月にやってくるアイソン彗星の話も聞きました。満月並の明るさを期待できそうとのことでした。


追記
関氏のHPにもいってみました。クラシックギターの愛好家でもあり、奥様はギター教室の教え子で11歳年下の方、時々二人の演奏会もされていたようでした。ギター教師でもある----驚き。44歳からは水泳を始め、マスターズの全国大会にも度々出場。全く何という人だ----